アラカン女の日々の綴り

シングルでフリーランスのアラカン女子の日々の出来事をつづる

片側顔面痙攣のこと。(詳しくはググってみましょう)

本日月曜日は毎週愛知にある某鍼灸院へ通院の日。
この病気のためというか、日本で唯一目に特化されてる鍼灸院であるへ毎週通院。
り患したのがわかったのが、某大学の派遣契約期間が終わり、なんか資格でも取って
と勉強を始めた時である。片目の痙攣が続き・・ネットでこの病名にたどり着く。
(市内の眼科はいくら言っても眼精疲労と言い張り、発見が遅れた、1か月無駄な
ことを・・( 一一))ネットで調べたらどうも麻酔科か神経内科とかになるということで。
しかもこの病名の場合ボトックス注射で対処するということだが、地域に一か所しかなく(指定医しかできない高度な注射なのです)…とにかくそこへ行く。
幸いそこの先生がみて、すぐこれはいかんと思われたらしく私の病名検索は正解。
その時は(8年ぐらい前)3か月に一度注射で抑えてくださいということ。
なので、ずっと年に4度していました。これが結構な高額(勿論保険も使って)。
3年ほど前からどうにも効き目が薄くってるってことに気が付く。マタマタグーグル先生のお世話になる。
そしてわかったのは!この注射の副作用で眼瞼下垂もおこしてることもわかる。
ある書き込みで、この鍼灸院を探し・・針がいいことがわかる。
そしてその先生の記事を読んで、直りはしないけれども、針で血流をよくすることで
注射の期間をのばすこともできるとわかる。
と、色々あってその鍼灸院へ片道2時間ちょいかけて通っているという次第。
(JR乗り継いで、あとは名鉄バス)


唯一救われるのは、この先生の温厚さやさしさで、まぁなんとかなるかなという
気持ちにさせてもらってること。周りはもっと重症の方も通院されてる。
おかげで半年弱、注射の効能ももつし、針のおかげであちこち体調はよくなっている
感じである。
てことで本日は病気のご説明でした~~。原因とかは諸説ありまして、まぁネットで
色々書いてるので興味あればみてください。完治はしません、手術云々書いてる
記事はアウト。手術して大体5年で元に戻ってる人が大半です。
※写真はお気にいりの柄足袋(手ぬぐいでつくってもらえる)

自営というのは・・

フリーランスの自営ってのはわかりにくいですね。
両親の介護が終わって相続というのが派生しました。父は公務員、
母は小さく小商いをしてて、田舎でよくある、土地持ちの場合空いてるところで
月極駐車場をしておりました。で、もう認知症が出てたのでこれはやばいと
そこで私がほぼやっていたのですが。その時点で、公正証書というのを
作成してもらい(父に頼む)駐車場は私にというようにしてもらいました。
実家は弟になりましたが。ということで両親亡き後、ダブルワークで
やりつつ、今に至るとなります。
とはいえ、地方と都会とは雲泥の差、1か月1台5000円ぐらいですから、
都会みたいに高額ではありません。でも、地方の状況わかってない人から
みると「いや~~お嬢さんなんですね」とか見当違いのことを言われるのが
めちゃ嫌でした。
介護の件は中々にヘビィなので、よっぽど親しい人でないと話はしません。
苦労話は自慢になるみたいで嫌がられるので。
まぁいっぺんに両親倒れられるとそりゃ~ 中々なひどい話です。
しかもなんにも、どこに何があるかもわからず、とにかく大変でした。
又気が向いたら、介護に対しての心構え的なことは書くかも・・
今日は 最近知り合った方が、二部式のお着物を販売、あと小物とかも
おいておられるギャラリーへ(月に一度だけ開催)いってきました。
手持ちの伊勢木綿が大きいのと着にくかったので、二部式にしてもらい、
それの今日は受け取りに・・・めちゃ楽ちん。お勧め・・・

フリーランスの定義(自営だけど)①


私の住んでるのは近畿地方といっても、京阪神でもなく、まぁ地方です。
長く働いていたけれど(その間に家事手伝いってのもあった)
塾の講師、医療事務の会社のマネージャー、と続く・・
そこへ降ってわいたような両親の介護がやってきたという。


丁度大分しんどい状態だったので(コンプラもなにもあったものじゃない
所で残業は普通に100はありました。マネなのでつきません(´;ω;`)
退職して(ここは3年務めた)故郷へ帰る~~


帰ったら、いつの間にやら認知症になりつつある母が父の看護をしていた。
父には気の毒ではあったが、まさかあの母がぼけるっていうのは想定外だった私も
まずかったのだけれど。長男夫婦は海外だったし。


ってことで両親の介護が5年続くわけです・・・
今日はここまでね。